うーむ、「自分の作品」ですか。 あまりそういうことは考えない人間なんですが、強いて言い表すなら「好きなもの」かもしれません。今だって趣味の延長線上でやってるようなものですし。 とはいえ、書くのに疲れることもあります。それもかなり頻繁に。できることなら、コミ○クマ○ターJのように「ものを書いて生まれるストレスは、ものを書くことで発散する(一部うろ覚え)」ぐらいまで昇華したいですねぇ。
【2007/04/15 20:17】
URL | 伊吹泰郎 #mQop/nM. [ 編集]
兄と話をしていると時々落語家になったほうがよかったんじゃないかと思うときがある。
【2007/04/15 23:39】
URL | リトルブラザー #- [ 編集]
>伊吹先生 あー私も、仕事に疲れたら趣味の小説を書いたりしてますね。なんか分量が単行本一冊分ぐらいになったんで、どうしようかと思っています。 エロ小説じゃないんで、商業的な価値はほとんどありませんが……。
>弟 話にオチをつけるのは、とても大事なことだ。 古来より武士たちは、会話にオチをつけることを重視してきた。そのため、オチがない話をしてしまうことは、大変な不名誉とされた。 そわそわして不安な気分のことを「落ち着かない」と表現するのは、このことに由来している。 (民明書房「越智家訓二十二条の謎」より)
【2007/04/16 03:46】
URL | 真慈真雄 #- [ 編集]
私はただの趣味で文章を書きつづけている者ですが、私にとって自分が書いた作品は、「遺書」もしくは、「遺言」です。 もっと言えば、「自分が生きた証」、「自分の分身」です。 自分がこの世界に生きたことを証明するために、自分が生きていることを実感するために、自分が生きて行くために、私は書きつづけます。 私にとって、私の一部を切り取ったモノなんだろうなと思います。 自分にとっての作品の価値は人それぞれだと思いますが、自分にとって大事なモノであることは同じだと思います。 自分の書いたものは大事にしたいですよね。
【2007/04/20 23:18】
URL | 藤姫 彩音 #- [ 編集]
結局のところ無から創作する訳ですから、全ての作品は自分の中にあった要素で構成されているはずです。そういう意味では、確かに分身以外の何ものでもありませんね。 私の分身は私同様、どうしようもないのが多いですが……。
【2007/04/23 16:22】
URL | 真慈真雄 #- [ 編集]
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