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真慈真雄(しんじまお)

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2007/1/28~

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行き止まりもあったりします。
 執筆は完了したものの、修正作業を溜めこんで半泣きの真慈真雄です。こんばんは。
 さくっとやっちゃえば1日で終わるんですが、一番面倒な工程ですのでズルズル延びております。
 しかしこれをしないと、作品中の細かいミスや粗(矛盾点とかエロ要素の不足部分とか)が残ってしまいますので、絶対に避ける訳にはいきません。
 まあ昔に比べれば、ずいぶんと楽にはなりましたが……。

 ところで、プロアマ問わず創作活動をしている皆さん。
 皆さんにとって、「自分の作品」とはどういう存在ですか? 何に例えられますか?

 私にとって、自分の作品は「道」のようなものです。
 私は趣味でも仕事でも、小説という名前の道路を作り続けます。できあがった道路はデコボコでグニャグニャだったりしますが、それでもどこかへ続いています。
 私が3年半前に編集部に送った一編のエロ小説は、作家デビューへと続く道でした。「おしかけメイド隊」は、お気楽ハーレム路線へと続く道でした。

 だから私にとって、自作品はとても大事なものです。書かないことには、どこにも行けませんから。
 しかし道路はあくまでも、どこかへ歩いていく「手段」に過ぎません。道路を眺めてうっとりしたり、道路に永住したりするのは、余り一般的ではないでしょう。
 過去の作品にしがみついていては、どこにも到達することはできません。
 もちろん作った道路は私そのものですから、大切な財産です。我が子同然と言っても過言ではありません(子供いないですけど)。
 でも、新しく作ることを放棄してしまったら、そこで道は途切れてしまいます。

 こんな考え方をする私なので、「小説家になりたいんだけど……」という相談を受けると、決まってこう答えます。
「ではまず小説を1本書き上げましょう。書いたらどこかの編集部に送りましょう。そして全部忘れて、また次に送る小説を書きましょう」
 大抵の人は、これを聞くと嫌そうな顔をします。ですが、もしこれができるのなら、書き続けているうちに目的の場所にたどり着くかも知れません。
 なんせ全ての作品は、どこかに続く道ですから。

 もっともどこに続いているかは、書いてみないと判りません。

テーマ:ライトノベル - ジャンル:小説・文学

この記事に対するコメント

うーむ、「自分の作品」ですか。
あまりそういうことは考えない人間なんですが、強いて言い表すなら「好きなもの」かもしれません。今だって趣味の延長線上でやってるようなものですし。
とはいえ、書くのに疲れることもあります。それもかなり頻繁に。できることなら、コミ○クマ○ターJのように「ものを書いて生まれるストレスは、ものを書くことで発散する(一部うろ覚え)」ぐらいまで昇華したいですねぇ。
【2007/04/15 20:17】 URL | 伊吹泰郎 #mQop/nM. [ 編集]


兄と話をしていると時々落語家になったほうがよかったんじゃないかと思うときがある。
【2007/04/15 23:39】 URL | リトルブラザー #- [ 編集]


>伊吹先生
 あー私も、仕事に疲れたら趣味の小説を書いたりしてますね。なんか分量が単行本一冊分ぐらいになったんで、どうしようかと思っています。
 エロ小説じゃないんで、商業的な価値はほとんどありませんが……。

>弟
 話にオチをつけるのは、とても大事なことだ。
 古来より武士たちは、会話にオチをつけることを重視してきた。そのため、オチがない話をしてしまうことは、大変な不名誉とされた。
 そわそわして不安な気分のことを「落ち着かない」と表現するのは、このことに由来している。
(民明書房「越智家訓二十二条の謎」より)
【2007/04/16 03:46】 URL | 真慈真雄 #- [ 編集]


 私はただの趣味で文章を書きつづけている者ですが、私にとって自分が書いた作品は、「遺書」もしくは、「遺言」です。
 もっと言えば、「自分が生きた証」、「自分の分身」です。
 自分がこの世界に生きたことを証明するために、自分が生きていることを実感するために、自分が生きて行くために、私は書きつづけます。
 私にとって、私の一部を切り取ったモノなんだろうなと思います。
 自分にとっての作品の価値は人それぞれだと思いますが、自分にとって大事なモノであることは同じだと思います。
 自分の書いたものは大事にしたいですよね。
【2007/04/20 23:18】 URL | 藤姫 彩音 #- [ 編集]


 結局のところ無から創作する訳ですから、全ての作品は自分の中にあった要素で構成されているはずです。そういう意味では、確かに分身以外の何ものでもありませんね。
 私の分身は私同様、どうしようもないのが多いですが……。
【2007/04/23 16:22】 URL | 真慈真雄 #- [ 編集]


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